金沢地方裁判所 昭和48年(ワ)275号 判決 1974年11月20日
原告 羽毛正子
原告 羽毛真由美
右法定代理人親権者 羽毛正子
右両名訴訟代理人弁護士 嘉野幸太郎
被告 石川県
右代表者知事 中西陽一
右訴訟代理人弁護士 盛一銀二郎
同 高沢邦俊
主文
一 被告は原告羽毛正子に対し金四、三二〇、八〇八円、同羽毛真由美に対し金八、三二一、二九六円及び右各金員に対する昭和四七年一一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一、二項同旨。
2 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 訴外羽毛孝信(以下孝信という)は、左の事故により死亡した。
(一) 事故発生時 昭和四七年一〇月三一日午前九時三〇分頃
(二) 事故発生地 石川県鳳至郡門前町字浦上地内県道
(三) 事故の態様 孝信がコンクリートミキサー車(石八八な二一五)(以下被害車という)を運転し、右県道上を浦上から皆月方面に向けて本件事故現場付近(幅員五・五メートルないし五・一メートルで左へカーブしている地点)を進行中、突然左路肩側道路部分が地盤沈下し路肩が崩壊(巾一・一メートル、長さ三・一メートル)したため、右車輛とともに約三〇メートル下の浦上川に転落し、孝信は頸椎脱臼により即死した。
2 右事故現場付近の道路は粘土質で湿潤な上、ところどころ亀裂が生じていて、過去において崩壊したことがあるため、コンクリート補強壁で一部路肩を補強している道路であるが、本件事故現場付近の約八・八メートルの間はコンクリート壁による補強がなされておらず、道路が通常備えるべき安全性を欠いていたにもかかわらず、これに対する何等の防災手段も講じられていなかった。その上本件事故当時は、相当の降雨があった直後で道路欠損が予想されるのであるから、危険箇所に防護棚とかセフティーコース等で事故防止措置をとるべきであったにもかかわらず、道路管理者においてこれに対する何等の防災手段を講じていなかった。
以上のように本件事故は道路の管理に瑕疵が存したことによるものであるが、本件道路は県道で被告石川県の営造物であるから、国家賠償法第二条の規定により、被告は本件事故による孝信の損害及び原告らの損害を賠償する責任がある。
3 損害
(一) 孝信は、死亡当時訴外株式会社新出組に生コン車の運転手として勤務し、一か月平均金七一、九三一円の給与をえていた満二二才の男子である。孝信の生活費を五割として、右月収から生活費を控除し、稼働可能年数四一年(係数二一、九七〇)につきホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を年毎に控除した本件事故当時の現価は金九、四八一、九四四円である。
{71,931-(71,931×50/100)}×12×21.97=9,481,944
(二) 原告羽毛正子(以下原告正子という)は孝信の妻であり、同羽毛真由美(以下原告真由美という)は孝信の長女であって、その相続分に応じ、右孝信の逸失利益を次のとおり相続した。
原告正子(三分の一) 金三、一六〇、六四八円
原告真由美(三分の二) 金六、三二一、二九六円
(三) 原告正子は本件事故により一家の支柱たる夫を失い今後幼児を抱えて生活していくことを余儀なくされ、原告真由美は幼くして父を失い今後父の顔も判然としないまま一生を送ることを余儀なくされたもので、いずれも将来に対する不安は甚大であり、その精神的損害を慰藉するためには、両者に対し各金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
(四) 原告正子は孝信の妻として葬儀費用三〇〇、〇〇〇円の支払を余儀なくされた。
(五) 以上のとおり原告正子は金五、四六〇、六四八円の、原告真由美は金八、三二一、二九六円の各損害賠償債権を有する。
4 損害の填補
原告正子は穴水労働基準局より年金前払一時金九九五、二〇〇円、埋葬料一四四、六四〇円の計金一、一三九、八四〇円の支払を受けた。
5 よって被告に対し、原告正子は金四、三二〇、八〇八円、原告真由美は金八、三二一、二九六円及び右各金員に対する本件事故発生後である昭和四七年一一月一日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1の事実は認めるが、事故発生の具体的内容は不知。
2 同2の事実中本件道路(五十洲-亀部田線)が県道で公の営造物であること、転落事故の発生したこと、道路管理者が事故現場ないしその付近に危険防止のための道路標識ないし道路表示をしていなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。
すなわち、本件道路は一般県道であるため、規則上義務づけられている月三回のパトロールの対象とならない道路であるが、本件道路については、本件事故現場以外の場所で道路改修工事を施行していたので、石川県輪島土木事務所の担当員が右工事の監督のため、右工事現場への往復の際、本件事故現場を含む本件道路に穴ぼこや路肩のひび割れの有無について調査していたが、何ら異常は認められなかった。またそのほかにも石川県輪島土木事務所の担当員同門前出張所の職員が随時本件道路の点検、パトロール、調査をしていたが、路肩のひび割れ等、何等の異常は発見されなかった。
仮りに本件道路の路肩部分が軟弱であり、被害車の通行に耐え得るだけの構造を有していなかったため本件事故が発生したとしても、路肩部分は本来道路の主要構造部分を保護し、又は、車道の効用を保つために設けられたもので(車輛制限令二条七号)、歩道を有しない道路を通行する自動車はその車輪が路肩にはみ出してはならない(車輛制限令九条)のであるから路肩部分の軟弱さのみをもって、道路設備に瑕疵ありとは言えない。
又、本件事故現場付近の道路は巾員約五・一メートルであり、崖側より約五〇センチメートルが路肩で、崖側から約三〇センチメートルの位置にガードロープが設置されていたから、転落の危険防止施設としては十分であり、管理に瑕疵があったともいえない。
3 同3の事実は不知。
4 同4の事実は不知。
三 被告の抗弁
1 孝信は、大雨の降った後の路肩が軟弱になっていたことが予想される、巾員約四・三メートルないし五・一メートルのカーブの多い狭い本件道路を巾二・〇メートル、長さ五・七五メートル、積載量三九四〇キログラムの重心が普通の車輛より高い車を運転していたのであるから、路肩に乗り入れないように慎重な注意を払う必要があるのに、事故現場から二〇メートル前方に後続車輛を追越させることができる広い安全な場所があるにもかかわらず、本件事故現場において後続車輛を追越させるため漫然と路肩に左車輪を乗り入れた結果本件事故を惹起したもので、孝信にも過失がある(前記車輛制限令九条参照)。従って右過失について、相当の過失相殺がなされるべきである。
2 原告らは労働者災害補償保険法により遺族補償年金の受給者であるが、右年金は原告真由美については事故当時〇才であるから〇才から十八才に達するまで支給され、原告正子には、事故当時の二二才から死亡するまで支給される。原告らに支給される年金の総額の現価額はホフマン式計算によれば別紙のとおりであり、その総額金八、八七二、三三五円は損益相殺として、控除されるべきである。
四 抗弁に対する認否
1 被告主張1の事実中道路の状況、被害車の規格は認めるが、その余は否認する。孝信は、本件車輛を路肩に乗り入れていない。又慰藉料につき、相殺は認めるべきではない。
2 同2の主張は争う。将来支払わるべき年金を弁済に填補するのは不当である。
第三証拠≪省略≫
理由
一 本件事故の発生
1 孝信が昭和四七年一〇月三一日午前九時三〇分頃、石川県鳳至郡門前町字浦上地内の道路(県道五十洲―亀部田線)において、コンクリートミキサー車(石八八な二一五)を皆月方向に向って運転中、車輛とともに約三〇メートル下の浦上川に転落し、孝信は頸椎脱臼により即死したことは、当事者間に争いがない。
2 そこで右事故の具体的態様について判断するに、≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実が認められる。
孝信は前記日時頃、本件被害車(幅二メートル)を運転し、浦上町方向から時速約二〇~二五キロメートルの速度で、本件事故現場(巾員五・一~五・五メートル)手前付近を皆月方面に向って進行していた。その付近はいわゆるかまぼこ型の砂利道で皆月方面に向ってゆるく左にカーブし、同所から約三三メートル皆月寄りにおいて道路が北方にカーブし、また約四五メートル浦上寄りにおいて道路は再び北方にカーブしている。そして同所は皆月方面に向って上り坂となり道路右側は上方が山となり、道路左側は下方が谷でその斜面には雑木が茂り、その下に浦上川が流れている。その状況は別紙図面のとおりである。本件被害車が右付近にさしかかったところ、後方より時速約四〇キロメートルの速度で走ってきた訴外七野誠吾運転の普通貨物自動車(石四四る八八八)(幅一・六九メートル)が追いついてきたため、孝信はこれを追越させるべく、方向指示器をあげ道路左側(谷側)へ寄った。そこで訴外七野車は道路右側(山側)に寄って追越を開始したがこれは本件事故地点より約二五メートル手前付近である。そして右七野車は事故地点の手前で本件被害車と平行となった。この時両車の間隔は約二五センチメートルあり、両車とも道路中心線に平行に並びついで七野車が事故地点真横付近の山側を通過した頃に追越は完了していた。そして七野車が右事故地点横付近を通り過ぎた直後頃被害車が道路谷側の本件事故地点へ到達した。
右事故地点の道路巾員は、約五・一メートルあり、路肩谷側端より山側に向って約〇・五メートルが路肩となり道路面へと続いている。そして右谷側端より〇・三メートルのところにガードロープが張られていた。従って右ガードロープより更に内側(山側)へ約〇・二メートルの部分は路肩となっていたところ、孝信が運転していた本件被害車は右ガードロープより内側〇・二五メートルの地点にタイヤ外側端が来るような状態、即ちタイヤがガードロープに接触せず、また路肩にもはみ出さない程度にほぼ道路面左側一杯に車を寄せて後続車を追越させたとみられる。ところがその時突然路肩谷側端より山側へ向って約一・一メートル、前後約三・一メートルの部分、即ち路肩及びこれに接続する道路の一部が沈下し谷側へ向って崩落した。そのためその部分を進行していた被害車は安定を失い横倒しとなり、本件事故が発生した。
以上認定にかかる路肩、ガードロープ、タイヤ痕に関する距離関係は、道路崩壊のため本件事故地点より約一〇メートル浦上寄りの個所における測定結果に基づいたものであるが、現場の状況から判断し、本件事故地点も右測定地点とほぼ同様の距離関係にあったものと認定したのである。以上の認定に牴触する証拠はない。
二、被告の責任
(一) まず本件道路の設置及び管理状況並びに崩壊の原因について判断するに、≪証拠省略≫を総合すると、つぎの事実を認定することができる。
本件道路は県道であるが、主要地方道ではなく、門前町の五十洲と亀部田を結ぶ一般県道である。しかし右道路は亀部田国道二四九号線に接続し、皆月に至る道路として一般に利用され、門前皆月間の定期バスも運行されており、また中間の濁池で、一般県道濁池、輪島線に接続している。そして右道路は人家が連続している場所以外は未舗装となっているが、右位置的関係から、本件道路は常時大型車の往来もあっていわゆる交通閑散な山村の道というものでもなかった。右道路は、石川県輪島土木事務所門前出張所の管内に存在する。その他道路の状況は前記一において認定したとおりであるが、本件事故地点付近は昭和二四年に谷側が崩壊したことがあり、その際被告石川県は路肩の谷側垂直部分をコンクリート壁で擁護し、修復した。その状況は別紙図面のとおりであって、本件事故地点のある約八・八メートルの区間を除き、その前後即ち皆月側と浦上側に右コンクリート壁が設けられたもので、右八・八メートルの区間は従来どおりの崖となっていた。本件では右コンクリート壁が途切れた付近の崖部分が崩壊したものである。本件事故数日前より天候は晴であったが事故前日の昭和七年一〇月三〇日には三一・五ミリの降雨があり、事故地点付近の路肩は粘土質で湿潤な状態であり、ところどころに亀裂がみられる状況であった。このように本件現場付近は片側が山、反対側が崖となりその下に川が流れしかもカーブしているところであり、過去にも崩壊したことがあって、一般に地盤が軟弱で降雨のあった折などは崩壊しやすい場所とみられていた。このような道路上を降雨のあった翌日、積載定量三九四〇キログラムの本件被害車(生コン車)が、生コンクリートを積載して通過したため、その重量に耐えることができず路肩及び道路面の一部が崩壊したものとみることができる。
被告は本件被害車のタイヤを路肩部分に乗り入れたため、路肩より崩壊したものであると主張するが、前記一において認定した如く、本件被害車の車輪は路面左側一杯に寄っていたが、路肩部分にまでははみ出していたとは認められないから右主張は採用できない。結局本件事故は、降雨による地盤軟化のため、路面が本件被害車の重量を保持することができなかったことに原因があり、路肩乗入れをしたために生じたものではないといわねばならない。
(二) そこで右認定の如き道路状態が営造物の瑕疵に当るか否かにつき判断するに、本件道路が被告石川県の管理にかかるものであり、国家賠償法第二条の公の営造物であることには、当事者間に争いがない。そして右法条にいうその設置または管理の瑕疵とは営造物が通常具備すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国または公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としないと解するのが相当であるところ(最判昭和四五年八月二〇日集二四巻九号一二六八頁)、本件事故現場付近の路肩部分については、一応コンクリート壁で補強されているが、そのコンクリート壁は約八・八メートルの間隔があけられその部分だけ中断しており、本件崩壊がその壁体のないところに発生していることを考えると、第一次的には、このような崩壊しやすい個所であるにも拘らず、右コンクリート壁を連続して設置しなかったことが問題であり、間隔をあけて設置した点に原始的な瑕疵があったといわねばならない。しかし右設置当時は今日のような自動車の激増が予想されなかった時代であり、かりに右間隔をあけたコンクリート壁の設置が、必要最少限度にとどめる目的のもとに設計されたもので、昭和二四年当時の状況としてはそれ自体合理的な処置であったとしても、道路管理者は、その後の自動車や観光客の増加等の社会状勢の変化に応じて管理態勢を変えて行くべきであり、右コンクリート壁を設置しなかった八・八メートルの部分については、付近の地形、過去の崩壊の事例等に照らし特別の注意をもって排水施設を良好な状態に保ち、降雨による路肩又はこれに接続する路面部分の地盤軟弱化を防止し、道路上を通過する車輛の通常の衝撃や重量に耐え得るよう道路を安全な状態に維持する義務があったというべきであり、第二次的にはこのような道路の安全状態維持のための管理に瑕疵があったものとみられるのである。本件被害車の重量は前述のとおりであるが、弁論の全趣旨によると、同車はこれまで正常に運行の用に供されていたもので、車輛関係法令に適合するものと認められ、また本件道路については本件被害車の運行を禁止又は制限する処置がとられていた事実は認められないから、本件道路を右被害車が通行することは、通常の利用方法とみなければならない。しかるに本件道路はこのような通常の利用にも耐え得なかったというのであるから、右設置又は管理の何れに該当するかを問うまでもなく、道路としての通常有すべき安全性を欠いていたものと結論することができ、この意味においても本件道路の瑕疵を肯定することができるできるのである。
被告は本件現場付近に前記認定の如きガードロープを設置し、また道路パトロール規程に従って定期的に又は随時、道路巡回を行ってきたと主張し、≪証拠省略≫によると、右主張の事実を認定することができるのであるが、右ガードロープの設置並びに道路巡回の実施に欠けるところがなかったとしても、右は担当者が道路の維持管理についての一般的標準的な事務処理の基準に従ってその職務を行ったということであり、それをもって一切が免責されるというものではなく、従って右処置をとったことを理由に、本件の如き道路状態をもって道路の管理の瑕疵に当らないとか、本件事故が不可抗力のものであると結論することはできない。前述の如く公の営造物の設置又は管理に瑕疵があるときは、設置者又は管理者は無過失責任を負うのであって、右設置者らに故意又は過失がなかったという主張は免責の主張としては採用することはできないものである。
(三) 以上によると本件道路の設置及び管理に瑕疵があり、本件事故は右瑕疵に基づくものとみられるから、本件道路設置及び管理の主体である被告は国家賠償法第二条第一項により、これによって生じた損害賠償の責に任ずべきである。
三 損害
1 孝信の逸失利益
≪証拠省略≫によれば、孝信は死亡当時満二二才の健康な男性であって、訴外株式会社新出組に運転手として勤務し、月平均七一、九三一円の収入を得ていた。すると孝信は、本件事故にあわなければ、爾後六三才までの四一年間稼働することができたはずであり、その間においても同人の月収は少なくとも前記認定の額を下らないものと推認され、その間同人は自己の生活費・税金等として収入の五割を越えない支出を余儀なくされるものと推認するのが相当であるから、同人の逸失利益の昭和四七年一一月一日当時の現価を、ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると金九、四八一、九四四円と算定される。
2 原告らの相続
≪証拠省略≫によれば、原告正子は孝信の妻であり、同真由美は孝信の長女と認められ、原告正子は、右逸失利益の三分の一である金三、一六〇、六四八円を、同真由美はその三分の二である金六、三二一、二九六円を各相続したことになる。
3 原告らの慰藉料
≪証拠省略≫によれば、原告正子と孝信は昭和四六年一一月同棲し、同四七年七月二四日、婚姻届を出した夫婦であり、原告正子は一家の支柱を失い、幼児を抱えて生活して行くことを余儀なくされたこと、同真由美は幼くして父を失ったこと、及び前記認定のような本件事故の態様等を考慮すると、原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は各金二〇〇万円が相当であると認める。
4 葬儀費
≪証拠省略≫によれば、原告正子は、孝信の葬儀費として金三〇万円を下らない金額を支出したことが認められ、右支出額は、本件事故と相当因果関係にあるものと認める。
5 損益相殺
≪証拠省略≫によれば、原告羽毛正子は本件事故により穴水労働基準局より昭和四七年一二月一六日労働者災害補障保険法による遺族補償年金一時金として金九九五、二〇〇円、葬儀料として金一四四、六四〇円、合計金一、一三九、八四〇円の支払をうけた事実を認めることができる。
6 以上原告らの各損害を合計し、右損益相殺をすると、本件損害賠償債権は、原告正子について金四、三二〇、八〇八円、同真由美について金八、三二一、二九六円が残存しているのである。
四 そこで、被告の過失相殺の主張について判断する。
本件事故現場ないしその付近には、危険防止のための道路標識ないしは道路表示をしていなかったことは、当事者間に争いがない事実であり、前記認定通り、孝信は、後続車を追い越させるために、谷側に車を寄せたものであるが、路肩部分に乗り入れたものではなく、事故現場付近の道路巾約五・一メートルで、被害車の車幅は二メートル、追越車の車幅は一・六九メートルであることを考えれば、両車はそれぞれ外側に充分の余裕をもって並進することが可能であり、本件事故現場で、後続車を追い越させるために道路左側に寄ったとしても、この点に過失があるということはできない。また前記認定のとおり、前日に総雨量三一・五ミリの雨が降ってはいるが、≪証拠省略≫によれば右程度の雨量は豪雨に当らず、測候所から注意報は出ていなかったことが認められ、その他前記認定の如く、本件現場付近にはガードロープのほか防護施設はしていなかったのであるから、同所を通行する自動車運転者に、路肩より内部の道路部分が崩壊するであろうことを予想すべきであったとし、道路左側部分を進行したことをもって過失があると判断することはできない。
以上のとおり、孝信には本件事故に関して運行上の過失は認められず被告の過失相殺の主張は採用できない。
五 次に被告の労働者災害補償保険法に基づく給付金との損益相殺の主張について判断する。
労働者が第三者に対して損害賠償請求権を取得すると共に同一の事由によって将来労働者災害補償保険法による給付を受給し得る場合、この両者の関係は、相互補完の関係にあって、両者は併存するものと解すべく、ただ二重に損害の填補を得させるのは不合理であるから、損害賠償の責任を問うに当っては、災害補償を受けた価額の限度で損害賠償責任を免れ得るにすぎないと解される。従って保険受給者が損害賠償請求権を行使すことができなくなるのは、政府が現実に保険給付をして、保険受給者の損害の填補をなした場合に限られると解すべきである。
そうすると、将来にわたって保険給付を受けることが確定していても、これをもって現実の保険給付を受けたということはできない。前記認定の如く原告正子は同法に基づく遺族補償年金一時金として金九九五、二〇〇円、葬儀料として金一四四、六八〇円の支給を受けているが、≪証拠省略≫によれば、右年金一時金は年額四〇八、六五四円の割合による昭和五〇年五月までの分であり、昭和五〇年六月以降の年金は未支給となっていることが認められるから、右受給ずみの限度で損益相殺をしたものである。しかしながら右未支給の年金額を損益相殺として損害額から控除することはできないというべきである。
六 結論
以上によると被告は原告羽毛正子に対し本件損害賠償金四、三二〇、八〇八円、同羽毛真由美に対し同じく金八、三二一、二九六円及び右各金員に対する右損害発生日後である昭和四七年一一月一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告らの本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行宣言につき同法第一九六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 井上孝一)
<以下省略>